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永遠に失われた声質-松田聖子本来の声はもう聴くことができない [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 松田聖子が歌う曲には、転換点がある。デビューから「夏の扉」までは松田聖子本来の声。しかし、「白いパラソル」くらいから声が出にくくなってしまう。「風立ちぬ」では前述したように喉が荒れて声が思うように出ていない。おそらくテレビ番組などでは「夏の扉」の後半当たりから声が出にくくなっているのではなかろうか。
 この原因は、1981年2月11日から行われた初めての全国縦断コンサートにあった。11月22日までの間に、全国69カ所でコンサートを行った。4日連続でフルコンサートを行った週もあった。この合間に、もちろんテレビ番組の収録や新曲のレコーディング、雑誌の取材や撮影も行われていた。まさに殺人的スケジュールだった。
 年末のレコード大賞の授賞式に出演したとき、「辛かったことは?」と問われた松田聖子は「声が出なくなってしまったことです」と答えて泣いたという。この年の秋にはもう声はガラガラでまともに発声できる状態ではなくなっていた。そしてこれを境に、彼女本来の声質は永遠に失われた。聖子は歌い方の変更を余儀なくされたのだ。
 ここに、1本の動画がある。全国縦断コンサートの一環として、NHKの「レッツゴーヤング」でワンマンショーを開催した時のものだ。NHKホールで行われたこのワンマンショーは8月24日だった。この時歌った「Only My Love」を見ると、彼女は頭から胸まで、汗だくで歌唱しているのがわかる。全身が汗でびっしょりだ。
 しかし、歌い出しから何か苦しげな感じがして、歌の後半になると、声が出なくなってしまう。それでも聖子は懸命に歌っていた。

汗だくで歌うOnly My Love.JPG

 この時期には、もうすでに喉を痛めていたのだろう。それでも一生懸命歌う姿に、胸を打たれた。聖子は後に
 「デビューから数年間は、ただ無我夢中で歌っていました…」
と語っている。おそらくは事務所の方針に従って、言われるがままに歌っていたのだろう。それが喉を痛めてしまう超過密スケジュールであっても、文句なども言わずにただひたすら歌い続けていたのだ。この時の姿を見ると何だかかわいそうになって、涙が出そうになる。
 ここでもし喉を痛めたことを理由に後のスケジュールをキャンセルしていたら、松田聖子の声質はそのまま回復していたかもしれない。しかし、彼女は歌い続けた。その結果、本来の声質を永遠に失ってしまった。もっとも、スケジュールをキャンセルしたらその後の人気がどうなっていたかはわからない。だけれども、松田聖子本来の声質で歌われたその後の楽曲を聴いてみたい気もする。全身全霊をかけて歌い込まれた松田聖子本来の声質の歌を聴いてみたいと思うのは、私だけではないだろう。
 その後彼女はガラガラの低音をハスキーな発声に変えて、高音へと繋ぐ歌唱法を編み出した。いわゆるキャンディボイスである。このキャンディボイスの実態が何なのか、私は歌唱法には詳しくないのではっきりとはわからない。高音部はファルセットであるというのだが、でもほんとうにファルセットなのかという疑問も沸いてしまう。だが、天才と言われる彼女も苦しみながら努力を重ねていたのは間違いない。
 しかし、この歌い方は、聖子に新たな魅力を与えた。ハスキーな低音部から伸びやかな高音まで、自在に変わる声質を獲得した。それがまた大人の雰囲気を醸し出すことに繋がった。
 1985年の結婚で休業したことで、彼女の喉は改善した。休業復帰後の楽曲からは、濃厚でより滑らかな歌い方になっている。しかし、「夏の扉」まで展開されたこの小さな身体からは想像できないような全身から声を出す歌い方は、もう戻っては来なかった。だから魅力がないなどと言うつもりは毛頭ない。彼女の歌い方は今でも素晴らしい。だが、あの全身から声を出すような歌い方は、もう81年初頭までの動画でしか見ることはできないのだ。その意味で、81年初めまでの動画は非常に貴重な存在だといえよう。
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ラジオでは区別が付きにくい松田聖子と神田沙也加 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 ラジオの話題を続けてみよう。松田聖子と娘の神田沙也加は、2011年6月2日に「オールナイトニッポンGOLD」で共演している。共演したのは、これが初めてだった。以降共演していないようなので、これが唯一の母娘ラジオ共演ということになる。
 最初にこの動画を聴いたときに、松田聖子と神田沙也加の区別がほとんど付かなかった。何回か聴いてきたら区別が付くようになったが、それでも高い声質のところではよく聴いていないとどっちがどっちだか正直なところ、わからなくなるときがある。それくらい、二人は似ている。
 松田聖子の方が低域から高域まで広いバンドを持った声で、神田沙也加は周波数スペクトラムが高域に寄った感じの声なので普通に話していると違いはわかる。しかし、笑ったり、やや大きな声になってきて絶叫調になってくると、区別が付きにくくなる。
 神田沙也加は「松田聖子情報管理室」(通称MSJK)の「エージェント」という役柄で出演している。母親の日常を暴露するという役割を負っての登場となった。
 最初に神田沙也加が現れたときに、沙也加が
 「娘でーーす」とおどけながらブースに入ってくると、松田聖子が
 「どうしてあなたが……」とやや呆然とした雰囲気になるのがおかしい。 

松田聖子と神田沙也加.jpg

 ここで垣花アナウンサーが、
 「お二人がテレビで共演するのは時々見かけますが、ラジオで共演するというのは?」とたずねると、
 「初めてです」と聖子と沙也加はほとんど声を揃えて答える。
 これを答えるときに、聖子の声がやや低めになってかすれたような感じになり、松田聖子には「声の表情」があるなと感じる。
 番組内で垣花アナウンサーが「お二人は似てますね」と言うと、聖子、沙也加の順で
 「似てますか?」
 「似てますか?」
と全く同じ答えを返すときには、その感じがあまりに似ていてもう笑ってしまう。
 この中では、松田聖子が20歳の時の1982年11月30日に放送された「オールナイトニッポンスペシャル」のオープニングが流される。松田聖子はこれが流されると知ると「えーっ嫌だな。今日は恥ずかしい」(今日でなければ、恥ずかしくないのかな?)と言って嫌がっていたが、
 「オールナイトニッポンスペシャルを何度もやっていただきましたが、記念すべき第1回の放送がここにあるんです」と垣花アナウンサーが話すと、聖子は、
 「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」と言いながら、
 「オールナイトニッポンのパーソナリティをやるということは大変な(役割)だった。だから相当緊張しているはずですよ。たぶん相当なまったりとか、うわずったりとか、していると思います。それをここであえて聴かなければいけないんですね?私。いやー、参りましたな」と語っている。
 オールナイトニッポンスペシャル初回の録音が再生されると、「もういい、もういい…」と何回も言っていた。そして、
 「やはり緊張してますね。でも、成長がないですね。31年たっても、こんな感じではないですか」と言っている。
 これを聴いて神田沙也加は、
 「私の方がうまいなと思いました…」と笑っていた。松田聖子も笑いながら、
 「それはそうですね。」と答えていた。神田沙也加は、
 「良い意味で変わらない明るさというか、そういうところがある」と言うと、聖子は
 「私、けっこう緊張しぃなんですよ。そして、恥ずかしがり屋なんですよ」と言っている。
 会話は進んで、松田聖子が神田沙也加の「流星」のモノマネの一節を披露する。それに対して、神田沙也加は松田聖子が食事の際に沙也加が使ったナプキンを使ってしまったときのことや、ミルクコーヒーをの飲んだときの発言を完全なアニメ声でモノマネする。松田聖子は、
 「ウソ、ウソ」と言って絶叫調の笑いで否定する。
 全編和やかで良き母娘といった感じで、断絶やら疎遠な感じはしない。最近の様子はわからないし、このときも「お仕事」としてやっている面もあるだろうから、割り引いて聴かなければならない部分はあるだろう。しかし、仲むつまじい母娘といった感じに見受けられる。
 親子の間には、いろんなことがあるものだ。仲が悪いように見えて、実はベースでは心が繋がっていたりする。自分に当てはめてみても、そういう感じはする。家族の中のことなんて、しょせん他人にはわからないものだ。この後の事務所離脱ですきま風が吹いていると言われる母娘の中だが、単に忙しいだけなのかもしれないし、その実際はわからない。ましてや、そういう報道に反応しない聖子なら、なおさらそういった内部情報は出てこないだろう。
 いずれにしても、もう5年以上前になるこの番組だが、かなり抱腹絶倒する面白さであることは間違いない。

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