SSブログ

番外編-1 世界初のCDタイトル50枚中で最年少だった20歳の松田聖子 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 1982年10月1日。世界で初めてCDプレーヤーがソニーと日立(Lo-Dブランド)から発売された。同時にCBSソニーから世界初のCDタイトル50枚が発売された。メータ指揮のニューヨークフィル、 中村紘子やビリージョエル、サイモンとガーファンクル、 マイルス・デイビスなどと並んで、松田聖子のアルバム「Pineapple」(35DH3)もリリースされた。
 最初のCD50枚のうち、国内制作のニューミュージック系・歌謡曲系のアルバムはEPICソニーを含めて17枚。このうちの1枚が松田聖子の「Pineapple」だった。このとき松田聖子は20歳。世界初のCD50枚の栄誉を与えられたアーティストの中で、松田聖子は最年少だった。

 「Pineapple」のアナログ盤は同年5月21日のリリース。次回の「Candy」のリリースは11月10日だったので、文字通りの最新盤だった。ベスト盤が選択されなかったのは、当時の松田聖子の勢いが強かったので、過去のイメージとなるベスト盤をあえて避けたものと思われる。
 当時のCDは西ドイツのポリグラムとCBSソニーの静岡工場でしか生産できず、国内盤はもとより、アメリカのCDも日本で作られていた。松田聖子のCDアルバムはそれからも精力的に制作され、次の「Candy」 (35DH19)は12月21日、その次の「ユートピア」(38DH39)はアナログ盤1983年6月1日リリースに対して6月22日、次期作「Canary」(38DH62)がアナログ盤12月10日に対して12月21日のリリースとなった。
 その後1984年6月10日リリースの「Tinker Bell」(32DH100)以降からアナログ盤・CD同時発売となった。

Pineapple.jpg

 CDの生産はCBSソニーの静岡工場において24時間体制で行われている。最初の50タイトル以降もすぐに多数のCDが発売されている。しかし、「世界初のCD50タイトル」に名を連ねたことには、特別の意味がある。今でも、この「世界初のCD50タイトル」は、語り継がれているからだ。2番手ではダメなのだ。これにまだデビュー満2年目で20歳の松田聖子が含まれていたことは、まさに金字塔と言えよう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

「アイドル歌手は終わり」を宣言していた松田聖子 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 神田正輝との結婚を控えた1985年4月18日、松田聖子はザ・ベストテンに結婚前最後となる出演を行っていた。このとき、「シングルのレコーディングは?」と問われた聖子は、
「もう、終わりです……」と少し寂しそうに答えた。「ご出演はどうなります?」と聞かれた聖子は、
「ひょっとすると、これが最後です…」とも答えている。
 この後聖子は、こみ上げてくる涙をこらえながら「天使のウインク」を歌った。
 蛇足だが、曲の途中、1コーラスが終わると、聖子は震える声で「どうもありがとう…」とカメラに向かって言っている。

今日が最後-1.jpg

今日が最後-2.jpg

今日が最後-こみ上げる.JPG

 2日後の4月20日、最後の生出演を終えた聖子は自宅前で取材陣のインタビューに応じている。このとき聖子は、
「もう今までのような仕事のやり方は終わりです…」と答えている。ただし、どちらの回答の際でも、
「家庭の事情が許すようになれば、また歌は歌いたい」と語っていた。これがそのまま現実となったのは周知の事実である。
 この時聖子が答えた「今までのような仕事のやり方は終わりです」というのは、シングル盤及びアルバムのリリース周期と、テレビ出演の露出度のことをさしている。たとえば、シングル盤の場合、1980年4月1日の「裸足の季節」から1985年5月9日の「ボーイの季節」まで21枚をリリースしているが、この期間から計算すると89日ごとにシングル盤をリリースしたことになる。つまり、約3ヶ月ごとのシングル盤リリースとなる。

自宅前でインタビュー.jpg

 このリリース間隔じたいは、当時のアイドル歌手のリリース頻度と比較してもごく平均的な周期で、当時はこの3か月ごとリリースがアイドル歌手には当たり前だった。特筆すべきは、ご存じのように「裸足の季節」の12位、「青い珊瑚礁」の2位を除けば、リリースされた21枚のうちの19枚がオリジナルコンフィデンスで1位となっていたことだ。番組出演時はまだ「ボーイの季節」はリリースされていないので、18枚連続1位が達成されていたが、19枚連続1位もほぼ確実視されていた。
 聖子はこのようなリリース頻度の高いシングル盤やアルバムの制作は、この後はもう不可能だと言ったのだ。このとき、まだ聖子は再度歌うことになるかどうかも、はっきり明言はしていない。インタビューの内容を精査してみると、どうやらこの時点ですでに再度歌を歌いたいという意思ははっきりと読み取れるのだが、その際に
「これまでのような仕事のやり方は終わりです」
と、明確に語っている。これは紛れもなく、従来のアイドル路線との決別宣言でもあった。

 また、その時点で結婚の影響で従来の人気が維持できているかも本人には予測は付いていないため、どのように「再デビュー」を果たすかの青写真はまだ描いてはいなかっただろう。現実には、結婚と出産を果たしたあともシングル盤の売り上げ1位は26枚目となる「旅立ちはフリージア」まで継続した。しかし、結婚前の「宣言」どおりに、リリース間隔は長くなり、テレビ露出度も減って、結婚前とは異なった「仕事」の状況になった。また、アメリカ進出で「仕事」の内容も多様化し、これまでよりも大人の部分を強調するようになっていく。
 まぁ、23歳で結婚して再度歌の世界に戻ってくる時には25歳頃、そのときにはアイドルでは通用しないという心づもりが聖子にはあっただろう。また、すでに23歳時点で大人のバラードが歌えるシンガーに成長しているという自負もあったから、従来のアイドル路線と決別する気持ちは固まっていたと思われる。

 いずれにしても、結婚前最後のテレビ出演で「これが松田聖子最後の出演か?」と思ってしまったファンも多かったことだろう。だが、実際の言い回しをよく聞いてみると、聖子はあくまで「家庭優先でこれからは仕事をしていく。今までのようなやり方はもうしない」と言い続けていた。これまでのような仕事はしない、というのは、事務所などの意向に沿ってアイドル路線をひた走るのはもう終わりにする、ということだったのだろう。

 幸か不幸か、結婚・出産を経ても彼女の人気は持続した。やがて、30歳を迎える頃から、彼女自身がこの持続した人気の呪縛に捕らわれるようになる……。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

松田聖子が妊娠中に出演したトーク番組と松田聖子がその21年後に「日々、過酷でした」と告白したトーク番組 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 話がでたので、さんまの番組について続けてみよう。
 松田聖子は、1986年に妊娠した。その前の1985年に紅白に出演した後、テレビ番組には出演していなかったが、6月9日に「さんまのまんま」に出演している。この出演では、妊娠中であるため薄化粧で素顔に近いメイクで登場し、着ている服もゆったりとしたものを選んでいる。いかにも「妊娠中の若妻」という印象だ。
 この中で、聖子は「この番組に出たのは、家族あげて大喜びです」と語っている。また、さんまから
「どんな夫婦生活を営んでいらっしゃるのですか?」
「神田正輝さんは帰ってくるときどんな風にするんですか?」と聞かれて、聖子は
「だいたい、お台所にいることが多いから…」と答えた。
「帰ってきたら、エプロン姿で手をふきふきしながら、『はーい』とか言って……キス?」
聖子「うふふふ。はぁ(そうです)」(どうやらキスは否定せず、事実のようだ)
「お帰りなさい、って言うんです」
と答えている。

さんまのまんま-2.jpg

 このあと、台所のセットで神田正輝が帰ってきたときの様子などが再現される。
 また、さんまが聖子のお腹をさすって「男の子」だと予言しているが、聖子はさんまに「女の子だったらどうされます?」と聞くと、さんまは「引き取ります」と答えてスタジオ内を笑わせている。
 聖子はこの出演の後にはお腹が大きくなって夏期は軽井沢での避暑などを行っているので、テレビ出演はないのではないかと思われる。

 そして前回述べた1991年正月の「エッチする…」を連発した出演後、この番組では16年間の空白が続いた。そして2007年夏に、松田聖子は4回目の登場となる。ここでの会話も、台本なしでかなりきわどいモノがあった。
 冒頭でさんまが
「私なんてバツ1ですよ…」というと、聖子は、
「私なんて、『2』ですよ。……『バツ2』ですよ」と言って、その発言の赤裸々さと微妙さから
「おほほー」と言いながらオーディエンスの方を向いてソファに笑いながら倒れ込んでしまう。

さんまのまんまー4-1.jpg

 ここで「もう結婚はしないの?」と聞かれた聖子が、即答できずに言いよどんでいるとすかさずさんまは、
「(答えが)とまったねー」と茶かした。聖子は「違う」って苦笑いしながらオーディエンスの方に目線を向けた。
「もうこりごりでしょ。でも老後を考えたら、聖子さん、結婚した方がよいですよ」とさんまは語っている。
 その後3度目の結婚をしたけれど、このまま離婚しないで続いて欲しいけれども。

 話題はさんまがよくラジオなどでもネタにしている「週刊明星」の表紙になったときのことを語る。このとき、松田聖子はまだデビュー直後。さんまは芸人として初めて「週刊明星」の表紙を飾ることになり、デビュー仕立ての聖子と並んで写真撮影を行ったのだという。このときの撮影は葉山のホテルの庭で行われたという。
 さんまと聖子が表紙となったのは1980年8月24日号である。週刊誌は約1週間前に発売されるので、発売日は8月16日頃だろう。撮影日は7月下旬から8月上旬頃だったのではなかろうか。さんまは「これからものすごく伸びる人です」と聖子を紹介されたと言っているが、このとき「青い珊瑚礁」は7月1日にリリースされ、9月に1位になるべく躍進中だったはずだ。つまりまださんまは聖子をかけだしのアイドル歌手程度にしか認識していなかった。この後聖子があっという間にスターダムにのし上がり、さんまは驚いたと語っている。

明星の表紙 (1).jpg

 この時の表紙、見てみるとなんだか松田聖子でないようなイメージで写っている。「これ、別人でないの?」と思ってしまうくらい、イメージが違う。しかし、トーク内では聖子が「葉山のホテルの庭で、撮影しましたね」と語っているし、関係者も否定していないから、これは松田聖子なんだろう。

明星の表紙 拡大.jpg

 話は進んで、さんまから「今、恋しているの?」と聞かれた聖子は、
「してないですね」と答えた。「ほんとに出会いがないんです、いつも同じメンバーでコンサートとかしているから」と語っている。
 ここで昔の話になり、さんまが
「オレにはいっぺんも寄りつかなかったね」と言うと、聖子は、
「そんなにご一緒する機会がなかったですよね」と言う。さんまは、
「あったよ、死ぬほどあったよ」と気色ばんで話す。
聖子は「でもほんとうに素敵な方でしたよね」と取って付けたように話すと、さんまは「おえー」と言ってソファに崩れかかった。聖子はまずいなという顔をしながら「あ、いや、今も素敵ですけど…その頃まぶしかった」と言いながら、かなり本気でフォローしていた。

 さんまは「オレはそんなこと言うてない、恋人として一度もなかったという話をしているの」と言う。聖子は、
「一度も誘ってくださらなかったではないですか」と話す。
「初めてデートしようかなと思ったときに、あなたには決まった男性がいたんですよ」(郷ひろみのことだろう)
聖子「いや、誘おうと思ってなかったでしょ」
さんま「…いや…」
聖子「絶対思ってない」(かなり力強く言う)
さんま「…いや…」
聖子「絶対思ってない!」(さらに力強く言う)
さんま「…絶対……」
聖子「絶対思ってない!!」(もっと力強く言う)
さんま「オレ、わかっていたもん、あのときに…」
聖子「え、なんですか?」(ちょっとイントネーションがおかしい)
さんま「元の恋人や、あのとき、恋人がいたでしょ」
聖子「…、は、はい」「え、な、なに、えーーっ」

 そして「そのときじゃないじゃないー、だって」(かなり本気の顔)
さんま「そのときですよぉ」
聖子「あ、今、ちょっとタメ口になっちゃった、ごめんなさい」と笑いながら語っている。
さんまは「やめてよー、あなたをこんなに大きくしたの、私だからね…」と冗談で言っている。
さんまは「電話番号でも聞こうかなと思った」
 聖子は顔をしかめながら「絶対思ってない!」
「そしたら、その元恋人から『いつもお世話になってます』って何かいただいたんですよ」
聖子「うっそー」とのけぞる。
 そんな本音できわどい会話が続いた。

さんまのまんまー4 (2).jpg

さんまのまんまー4 (3).jpg


 このトークの冒頭なのだが、80年代初頭に報道されたスキャンダルの話になった。
さんま「いろんなスキャンダルを乗り越えてきて、まだテレビに出ているのは、すごいよね」
聖子「ははは…」
さんま「一時期、女性誌は、聖子、さんま、聖子、さんまで、スキャンダルをずーっと書かれてきた時期があったよね」
聖子「あー(そうですね)」
さんま「(そうやって)書かれてきたよね」
聖子は笑いながら「あーそうですね、あっという間に、年数がたちましたね」と話す。
さんまは「あれは30年くらいまえですからね、お互い独身で…」
聖子「ええ」
さんま「あなた、ほんとにすごいね。ずーっと笑っていたもんね」
聖子「でも、過酷ですよね、やっぱり。人生、過酷ですよ」
さんま「過酷だったけど、こんなに強い女だとは夢にも思わなかったよ」と語っている。

さんまのまんま4 (10).JPG


 この内容は、「松田聖子の苦悩と悲しみ」の欄でも書いたが、聖子が当時置かれていた状況を如実に、しかも短い言葉で言い表している。聖子は、当時のスキャンダル報道で、痛めつけられていたのだ。それを「人生、過酷」だと表現した。20歳か21歳頃に、様々に言われ続けた報道に対して、彼女は傷付いていた。しかし、それに対して聖子は当時、何ら反論せずに笑っていた。いつも笑っていた。
 それをさんまは見ていた。「ずーっと笑っていたものね」と言う一言は、以前にも述べた聖子は「ただ明るく笑っていた」という事実に結びつく。何を言われようがただ笑っていた聖子に、さんまも感服して思うところがあったのだ。
 ほんの短い対話ではあったが、これはウソではないだろう。このトークの中で、唯一シリアスな一面を見せるやりとりだった。当時の聖子の苦しみが垣間見られる会話だった。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

松田聖子が「H(エッチ)する?」「H(エッチ)しよう」を連発したトーク番組 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 松田聖子が「H(エッチ)する?」「H(エッチ)しよう」を連発したトークがある。時は1991年正月。「さんまのまんま」の正月特番でのこと。招かれた聖子は和服で訪れる。前年1990年のジェフ・ニコルスとの愛人報道などで痛めつけられた件などをひとしきり話題とした。「ディズニー-ランドに一緒に行ったことを報道されて、ひどかった。もう私はディズニーランドには行かない」と聖子は語っている。
 この後、1990年11月に公開された映画「どっちもどっち」の撮影現場での話題となる。この映画は明石家さんまと松田聖子が主演で、沢口靖子、布施博、 森口博子、 定岡正二などが出演したコメディだった。この撮影現場で、神田正輝が来たときのことなどが話題となった。このとき、松田聖子も明石家さんまもまだ離婚はしていない。松田聖子の子どもである神田沙也加は4歳、明石家さんまの子どものIMALUは1歳だった。
 前述のように撮影現場に見学に来た神田正輝と松田聖子の状況が明石家さんまから暴露された。ウソではあったが、「神田正輝が聖子の胸に手を入れていた」「スカートをめくっていた」とか発言したほか、真実としていったん現場を去ろうとした神田正輝に松田聖子が「パパー、パパー」と言って大道具のバルコニーから話をしていたという話になった。

Hする連発 合成(1).jpg

Hする連発 合成(2).jpg

Hする連発 (7).JPG

 このあと、次のような会話になった。
さんま「ほんとにやらしいね(君たちは)…」
 聖子は「えーっ」と驚いた顔をしながら、
「さんまさんのところだってそうじゃないですか」という。
さんまは「おれのところは、いやらしいこと、別にしてないじゃない」というと、聖子は
「うそばっかり」と笑いながら言う。
聖子「だって、毎日帰るときに、『今日エッチする?ウチはエッチするから』とか、言っていたじゃないですか」と言った。(スタジオ内大爆笑)
これにはさんまもうろたえながら、
「ようそんなこと、正月早々発表するなよ」と言い、
「キミの答えを言ってあげようか。確かにオレはそういうことを言うたよ。でも、オレのイメージはまだいいけど、キミのイメージはまた崩れるよ」と続けた。
 聖子「えー、なんで?」
 さんま「『今日オレんとこエッチするけど、キミんとこは?』って聞いたら、『ええ、1時すぎに(エッチします)』って(答えた)」(スタジオ内大爆笑)
 聖子は爆笑しながらさんまを叩き続ける。
 聖子「違う、違う、あれはさんまさんがお疲れさんって24時くらいに(撮影が)終わったじゃないですか。そしたら
『さぁ、今日も12時だな。これから帰ってお風呂浴びて、1時半だな、エッチして。(キミたちも)同じ時間にエッチしよう』とか言ったのは、さんまさんじゃないですか」
さんま「おれはそんなことは、しないよ、しゃべっているだけで」
聖子「えー、次の日に『した』って言ったじゃない」(スタジオ内大爆笑)
 こう言われてさんまは手で顔を覆ってしまったが、小さな声で「子どもができてからはエッチしてないよ…」と話し、1992年9月の大竹しのぶとの離婚を示唆するような発言もしている。松田聖子が神田正輝と離婚したのは1997年1月のことである。
 このトークでは、さんまからは一切何もフリがないのに聖子の方から「エッチしたって言ったじゃない」という発言が飛び出した。また、通算で5回、聖子は「エッチ」という言葉を発している。自由奔放で屈託がなく、あっけらかんと話す聖子には、ただ笑ってしまう。まぁ、人はやることはやっているわけで、明石家さんまが相手で気が緩んだせいもあるのだろうが、それを隠すことなく話していた聖子には、おそらくどう受け取られるかという計算は何もなかっただろう。
 これだけでなく、全編できわどい会話がなされていた。それを自然に話す聖子は、ともかく明るい。このトークは、聖子の性格の一端がわかる内容だった。この16年後、同じ「さんまのまんま」に松田聖子が登場。そのときも自然できわどいトークを繰り広げている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。