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Xperiaの「いたわり充電」を40数年前のエアコンタイマーで自動学習させてみた [その他]

 私は昨年2017年11月15日にXperia XZ1(SO-01K)を購入した。当初はこのモデルに「いたわり充電」機能があることに気づかなかった。半月ほどして「いたわり充電」機能があることに気づいた。
 「いたわり充電」機能は、Vaioやウォークマンなども搭載する。Vaioの場合は、満充電ではなく、80%充電と50%充電のどちらかが選べる。ウォークマンの場合は、おそらく80%充電程度になっていると思われる。いずれも満充電にした場合のリチウムイオンバッテリーの劣化を抑制し、その寿命を長くするという目的で使われる。
 2016年モデルから搭載されたXperiaの「いたわり充電」機能は、少し変わっている。より自動化が進み、長く充電状態にある時間帯をスマホが自動検出し、その充電時間帯を学習。充電終了時間に合わせて、満充電時刻を調整するというものだ。
 具体的には、充電開始時には急速充電を行う。90%まで充電したらいったん充電を停止。あとは学習した充電停止時刻に100%になるように再充電を行うという仕組みだ。満充電になったあとの過充電を防止し、それで電池の劣化を防ごうというわけだ。
 この「いたわり充電」は完全自動化されていて、ユーザーが終了時刻などを設定することはできない。また、どのような条件で時刻検出を行うのかも明示されていない。唯一、ソフトバンクの同型機種の「いたわり充電」の説明で、「時間帯検出には7日間以上かかる」という表記があった。ドコモとauの取扱説明書には、この「7日間ルール」の表記は存在しない。
 私は、充電開始時刻が午前1時から2時頃、充電器を抜くのは朝6時半から9時頃と、毎日同じではなかった。どうやら「いたわり充電」の終了時刻検出は1時間程度の誤差があってもその傾向は学習されず、「終了時刻バラバラ」と判断されてしまうようで、購入後2ヶ月がたっても「いたわり充電」機能は発動されなかった。
 それでもしかたがないと思っていたのだが、なるべくバッテリの劣化は防ぎたいし、せっかくの「いたわり充電」機能が学習されないというのには悶々としていた。いったい、どのような条件下で時間帯を検出しているのか?
 考えてみると、それほど難しいことをしているわけはない。一定以上の充電時間がある場合に、充電停止時間を検出し、それがある程度の幅なら「同一時刻終了」=「いたわり充電終了時刻」にしているのではないか。とすれば、終了時刻を±15分の間に納めれば、「いたわり充電」が始動されるのではないか。つまり、翌日に向けての充電の場合、最も重要な検出ファクターは「充電終了時刻」になるはずだ。当たり前のことなのだけれども、充電終了はACアダプタを抜く必要はない。電源を切ればよいだけだ。
 そこで思いついたのは、あり合わせの古い「エアコンタイマー」を使って、充電終了時刻を揃えるということだった。このエアコンタイマー、まだエアコンが「クーラー」と呼ばれていた今から45年ほど前にクーラーの起動、終了時刻を調節するために購入したものだ。松下電器産業製で、今や懐かしい「ナショナル」ブランドである。タイマーは商用電源の周波数に同期する。

エアコンタイマー全景.JPG


エアコンタイマー接続部.JPG


 このエアコンタイマーで充電終了時刻を毎日±15分以内にして様子を見ていた。充電終了時刻を揃えるようになってまさに7日目。ついに「いたわり充電」が始まった。グラフを見ると、毎日の充電終了時刻の1時間前には満充電となっているようだ。
 写真は「いたわり充電」が始まる前の「全域急速充電」状態と「いたわり充電」の状態。

急速充電.png


いたわり充電.png


 この「いたわり充電」、装備が始まった2016年モデルと2017年モデルとでは、説明の表記が異なる。2016年モデルでは詳しく「90%で一旦停止してから、充電終了時刻に合わせて充電100%となる」と説明されているのだが、2017年モデルでは「充電時刻を調節する」という簡単な表記しかない。

昨年モデルのいたわり充電説明.jpg


いたわり充電の説明.png


 おそらく、全自動化したのでユーザーに対する面倒な説明は不要、とメーカーでは判断したのだろう。ユーザーに面倒な操作や思い違いをして欲しくないという配慮なのかもしれないが、「いたわり充電」に関する動作の詳細の説明があまりに少な過ぎるような気がする。また、電池を持たせるためなら、「80%充電」で充電停止にするVaioの「いたわり充電」機能があってもよかったような気がするし、手動で充電終了時刻を設定するような機能にはできなかったのだろうか。おそらく、万人が使うスマホなので、ユーザーからの誤解があると困るという判断でこのようになったのだろう。
 何はともあれ、「いたわり充電」が始まった。「いたわり充電」が開始された後も、もちろん老兵のエアコンタイマーで充電終了時刻を毎日揃えるようにしている。エアコンタイマーは、先に書いたように40数年前のクーラー時代に使っていたもので、今もこのような10時間以上の電源ON/OFFができるタイマーが存在するのかどうかはわからない。しかし、クーラー全盛期のこのタイマーが、40数年後にスマホの充電終了時刻の統一に使われるとは、設計者も含めて、誰もが想像もできなったことだろう。

 ●初出時、「現在はエアコンタイマーのような10時間を超える電源タイマーはあるかどうかわからない」と書いたが、その後調査すると、現在でも全く同じ形状の製品がパナソニックから販売されていた。WH3101、WH3111で、ホワイトとブラックがあるようだ。価格は1,800円~2,800円くらい。名称は「エアコンタイマー」から「ダイヤルタイマー」に変わっている。ちなみに、エアコンタイマーの時代は型番はTE321だった。
 また、松下電器産業製としていたが、エアコンタイマーの時代は松下電工製だった。現在のダイヤルタイマーでもエアコンタイマー時代の仕様を引き継ぎ、容量は1500Wと大きいのが特徴。40年近く前の製品がほぼそのままの形状と仕様で販売されていることは、その完成度の高さを物語る。こういう製品を作り続けるパナソニックは素晴らしい存在だと感じる。
 この程度の価格であれば、「ダイヤルタイマー」で充電時間の調整をして、リチウムイオンバッテリの長寿命化を図るのもスマホユーザーとしてはありだろう。
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番外編-2 松田聖子が活躍した時代の放送技術、オーディオビデオハード界の背景 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 松田聖子が活躍した80年代前半は、どんな時代であったのか。ここでは、放送技術と一般家電であるオーディオビデオ製品の流れから、その時代背景を探ってみよう。

(1)1インチVTRの規格統一
 1977年12月にソニーがSMPTEヘリカルスキャン1インチVTRタイプCフォーマット、通称「Cフォーマット」を発売する。1インチVTRにソニーの規格が採用され、事実上の業界標準となった。これ以降、放送界は1インチVTRの導入を加速化する。イニシャルコストも安く、ランニングコストも安価な上、高画質だったCフォーマットは瞬く間に各放送局に導入された。
 松田聖子が登場した1980年には、Cフォーマット1インチVTRは各放送局に導入されていた。現在、録画撮りの音楽番組でも、またライブの音楽番組であっても、それを高画質で再び見られるのは、このCフォーマットの普及があってこそと言える。

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(2)撮像管の進化
 70年代後半、NHKは日立と共同でカメラ用撮像管としてサチコンを開発し、テレビカメラに搭載していた。一方の民放各局は、オランダのフィリップス社が開発したプランビコン管を搭載したテレビカメラを採用していた。プランビコン管は松下電器がフィリップスから技術導入して国内製造を行っていた。
 サチコン管はノイズが少なく、発色も良いという特徴を持っていたが高価だった。一方のプランビコン管は国内製造でより改修され、独特の艶色系の発色をするようになり、ノイズも低減した。プランビコンの特色は独特のコメットテールを引く点にあった。スタジオ照明などの明かりを捉えた際にレインボーのコメットテールを長く引いているのは、プランビコン管である。
 松田聖子が登場した1980年頃には、プランビコンはサチコンを凌駕する性能を持つようになり、CフォーマットVTRと組み合わせてテレビ放送の高画質化に貢献した。やがて80年代半ばになると、ダイオードガンプランビコンの登場で撮像管の画質は頂点に達する。そして90年代後半に撮像体は撮像素子の時代を迎える。
 サチコン、プランビコンともに放送画質の向上に大きく寄与した撮像管だった。

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(3)トリニトロン プロフィールの登場
 1980年にソニーはトリニトロン管のプロフィールを発売する。ソリッドなデザインでオーディオセットとの組み合わせを意識したコンセプトに、業界は騒然となった。それまでトリニトロン管は20インチまでしか製造できず、大型管は無理だと囁かれていた。それが27インチの大型管の登場で、「大型管テレビ+AVライク」なデザインを採用したテレビが業界をリードするようになっていく。
 プロフィールにはチューナとスピーカーは内蔵されていない。別売りのチューナーでは、映像系と音声系を同時に増幅するインターキャリア方式ではなく、別々に増幅するスプリットキャリア方式を採用し、音声からバズ音を追放した。
 プロフィールはテレビの大型化、高画質化、高音質化の先鞭となった。
 また、テレビ放送のステレオ化が実施されたのは意外と遅く、1982年からである。

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(4)ウォークマンの登場
 1979年、初代ウォークマンが登場する。井深氏自らが企画したという異端児は、瞬く間に世を席巻した。以後、ウォークマンはカセットやCD,MDと媒体を変化させながら、世界中に普及することになる。
 ウォークマンの登場により、オーディオは完全に「個」の存在となった。音楽は外へ持ち運べるようになり、どこでも聴けるようになった。自分だけのアイドルが楽しめるようになったのだ。

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(5)CDの登場
 1981年にCDのテスト版が発表された。1982年に50枚のCD発売により、本格的なCD時代を迎える。ランダムアクセスが可能で、S/Nがよく、スリ減りの心配もないCDは、それまでのアナログ盤と置き換わり、オーディオ音源の主流となっていく。

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(6)Hi-Fi VTRの登場
 1983年、家庭用1/2VTRにHi-Fi音声が付くようになった。スイッチングノイズの発生という難点はあったが、従来の音声が長時間録画により極めて狭帯域、低S/Nとなっていたため、上級機に導入されて広く市場に普及した。VTR音声の改善という点では、1983年の登場はやや遅きに失した感があったが、音楽録画の音質向上には大きく貢献した。

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(7)VHSとベータの戦い
 技術背景には直接の関係はないが、1970年代後半にVHSとベータは家庭用VTRで熾烈な競争を繰り広げていた。ベータの劣勢が決定的となったのは1984年。それまでベータ陣営にあった東芝、NEC、サンヨー、ゼネラルなどもVHSの販売に切り換えていく。しかし、3/4インチのUマチック、その後の8ミリVTRなど、ベータマックスと同じUローディングを採用したVTRの画質が優れていたのは明白で、必ずしも技術的優位にある方式がデファクトとなるわけではないという事実を立証した事例となった。
 松田聖子もベータマックスのCMには多数出演したが、すでに孤高の存在となりつつあったベータの劣勢を跳ね返すことはできなかった。

(8)カラーテレビ契約90%(1980年)
 NHKのカラーテレビ契約は1975年に全契約の83%となった。1980年には90%となっている。ちなみに、1977年10月1日にNHK教育放送が全カラー化を達成している。
 1980年になると、2台目、3台目の13~14インチテレビが各家庭に普及し始めた。ダイエーの「BUBU」を皮切りに始まった13~14インチテレビの低価格化がいっそう促進されたためだ。この頃の13~14インチテレビは、4万円から販売されていた。

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 2台目のテレビは、子供部屋や高齢者の部屋に設置された。同時に、テレビを一家で見るという習慣がだんだん薄れていく。子供がアイドル番組を自室で見る、という風景も日常的になっていく。80年代アイドルが活躍する素地は、こんなところにもあった。

 このような放送界、オーディオビデオハード界の時代背景は、松田聖子に限った話ではない。すべてのアイドル歌手や、その他の歌手も、またテレビドラマですらその恩恵に浴したといってよいだろう。しかし、80年代前半を駆け抜けた松田聖子は、このような時代背景を巧みに活用してしたのだと言えはしないか。自分も知らないうちに……。

 この時代背景分析は、極めて独善的なものだ。批判や叱咤する向きも多かろう。しかし、松田聖子という希有な歌手が80年代前半を猛烈な勢いで席巻したとき、こんな背景がそれを後押ししたのではないかと、私は思ってしまうのだ。
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