21歳の「松田聖子おかあさん」がとても様になっていて癒やされるコント [松田聖子の歴史を動画で振り返る]
21歳の松田聖子がおかあさん役になるというコントがある。1983年前半頃に制作された「積木くずし」のパロディ「けんと聖子の5分間戦争・積木くずれ」である。この中の聖子が、実に様になるというか、かなりな「おかあさん」になっていて、興味深い。
まず服装が「おかあさん」ぽく地味なんだが、スレンダーでこんなおかあさんがいたらいいなと、率直に思ってしまう。
続いて、台所での仕草が、何とも主婦っぽくて、きちんと母親から家事を教わっているように見受けられる。もしかすると、役者デビューしたときにそれなりに練習したのかもしれないが。
ともかく、とても「おかあさん」のようで、見ている方は居心地が良くて、癒やされてしまう。これは衣装やセットとの絡みもあって、総合的な「見せ方」の勝利なんだろうが、それにしても雰囲気が良くて思わず見入ってしまう。
途中で、けん子が初潮を迎えたようなやりとりがある。
「おかあさん、私、病気みたいなの」
「病気?どうして?」
「あのね……」
けん子が聖子に耳打ちする。
すると聖子が笑い出し、
「それは病気じゃないのよ。けん子ちゃんが大人になった証拠なのよ」
「病気じゃないの?」
「めでたいわ、早速お赤飯炊かなきゃね、あははは…」
そしてけん子がトイレに行って、
「私、痔だったわ。切れ痔…」というオチになる。
生っぽいやりとりが続く中で、まるでだめ押しのような
「…お赤飯炊かなきゃ…」
の一言は、もう完璧に赤裸々で、おまけに生々しくて苦笑するしかない。よくここまでやりとりしたもんだと感心する。
しかし、聖子自身も、また事務所サイドも、今から考えればよくOKしたなという内容だと思う。まだ生理用品が今ほどおおっぴらにCMなど打っていなかった時代だったんではないか。そんなときに、コントとはいえ初めて生理になった日のことを言葉に出して言うなんて、勇気があったなと感じる。あの時代の松田聖子の勢いからして、あえてそんな発言は必要のないことだったはずだ。だけど、コントのためにはそんなことも口にするという聖子のおおらかさというか、心の広さには、脱帽してしまう。
こんなことはそのうちあっけらかんと話す時代が来る、というような先見の明が聖子にはあったのかもしれない。今から見ればとくにどうということはない内容なのだが、まだあの時代では「ブラックジョーク」として受け取られたのかどうだか、わからない。しかし、これをネタにした聖子も関係者も、よくやったと称えられるべきことなのだろう。
このコントの中で、けん子の部屋が出てくる。グレているので部屋は落書きだらけ。で、その中に大きく「聖子命」という落書きがある。これはわかる。だが、その下、ドア右に小さく、「ひろみ命」という落書きが書かれているのだ。これは言うまでもなく、「郷ひろみ」のことだ。スタッフが書いたんだろうが、その当時聖子が「郷ひろみが好き」だと公言していたとはいえ、それにNGを出さずにそのまま収録したのには驚いてしまう。ある種、それは公然とした事実として世に伝搬させたかったのかもしれない。
まず服装が「おかあさん」ぽく地味なんだが、スレンダーでこんなおかあさんがいたらいいなと、率直に思ってしまう。
続いて、台所での仕草が、何とも主婦っぽくて、きちんと母親から家事を教わっているように見受けられる。もしかすると、役者デビューしたときにそれなりに練習したのかもしれないが。
ともかく、とても「おかあさん」のようで、見ている方は居心地が良くて、癒やされてしまう。これは衣装やセットとの絡みもあって、総合的な「見せ方」の勝利なんだろうが、それにしても雰囲気が良くて思わず見入ってしまう。
途中で、けん子が初潮を迎えたようなやりとりがある。
「おかあさん、私、病気みたいなの」
「病気?どうして?」
「あのね……」
けん子が聖子に耳打ちする。
すると聖子が笑い出し、
「それは病気じゃないのよ。けん子ちゃんが大人になった証拠なのよ」
「病気じゃないの?」
「めでたいわ、早速お赤飯炊かなきゃね、あははは…」
そしてけん子がトイレに行って、
「私、痔だったわ。切れ痔…」というオチになる。
生っぽいやりとりが続く中で、まるでだめ押しのような
「…お赤飯炊かなきゃ…」
の一言は、もう完璧に赤裸々で、おまけに生々しくて苦笑するしかない。よくここまでやりとりしたもんだと感心する。
しかし、聖子自身も、また事務所サイドも、今から考えればよくOKしたなという内容だと思う。まだ生理用品が今ほどおおっぴらにCMなど打っていなかった時代だったんではないか。そんなときに、コントとはいえ初めて生理になった日のことを言葉に出して言うなんて、勇気があったなと感じる。あの時代の松田聖子の勢いからして、あえてそんな発言は必要のないことだったはずだ。だけど、コントのためにはそんなことも口にするという聖子のおおらかさというか、心の広さには、脱帽してしまう。
こんなことはそのうちあっけらかんと話す時代が来る、というような先見の明が聖子にはあったのかもしれない。今から見ればとくにどうということはない内容なのだが、まだあの時代では「ブラックジョーク」として受け取られたのかどうだか、わからない。しかし、これをネタにした聖子も関係者も、よくやったと称えられるべきことなのだろう。
このコントの中で、けん子の部屋が出てくる。グレているので部屋は落書きだらけ。で、その中に大きく「聖子命」という落書きがある。これはわかる。だが、その下、ドア右に小さく、「ひろみ命」という落書きが書かれているのだ。これは言うまでもなく、「郷ひろみ」のことだ。スタッフが書いたんだろうが、その当時聖子が「郷ひろみが好き」だと公言していたとはいえ、それにNGを出さずにそのまま収録したのには驚いてしまう。ある種、それは公然とした事実として世に伝搬させたかったのかもしれない。