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自分の歌にしてしまった幻のカバー曲-2(松田聖子) [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 幼稚園の頃によく歌ったという曲を披露したのが「天使の誘惑」。黛ジュンのヒット曲だ。あのねのねの軽妙でコント的な紹介で始まるこのファイルは、おそらく1981年頃だろう。もちろんここでも完全に自分の歌にしていて、単なるおつきあいで歌ったという雰囲気は微塵も感じさせない。
 ここで曲紹介の際に、清水国明が「黛さんも草葉の陰で…」と言って、原田伸郎が「まだ死んでおられません」と話した際に、松田聖子が所在なげな顔をしているのが初々しい。

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 1980年代の終わり頃に歌ったと思われるのが「津軽海峡冬景色」。きちんと和服を着て、ワンコーラスを歌いきる。暗く陰湿な雰囲気のこの歌が、からっとした「津軽海峡春景色」みたいな感じになるのは、松田聖子が自分の歌にしている証左とも言えるのではなかろうか。しかし、演歌を本気で歌うとこれほどレベルの高いものになるということを示した動画となった。

津軽海峡冬景色.JPG


 テレサテンが歌った「つぐない」はおそらく「ピンクのモーツアルト」と同じ頃と思われるので、84年8月頃だろうか。場所はNHKホールだ。これのまま聴いてしまうと、オリジナルではないかと感じてしまう仕上がりで、ここでも完璧に自分の歌にしている。

つぐない.JPG


 極めつけのカバーが「あなた」だ。時期は1984年秋頃。小坂明子作詞作曲のこの曲を、本人のピアノ伴奏で歌うという豪華版だ。今までこれほど情感を込めた「あなた」は聴いたことがなく、完全にオリジナルを越えている。スローな時のややハスキーな低域部分から、アップテンポの時の伸びやかな高音まで、全領域で圧倒的な歌唱力を見せつける。惜しむらくは最後に彼女が泣いてしまって曲が崩れてしまうことだが、これを郷ひろみと結びつけて瞬間に切り替えるカメラマンとスイッチング室には恐れ入ってしまう。おかげで最後は小坂明子のピアノのクローズアップで終わるところがそうならずに終わってしまったと、後で小坂明子が語っていたそうだ。
 小坂は「きちんと歌えなかったので松田聖子は泣いて最後をごまかした。スターは得だ」というような発言を、この時を振り返る番組で語ったと言うことになっているが、松田聖子は完璧にこの曲を歌いこなしているのがこの動画からは見て取れる。このような仲間内からの中傷も、彼女の才能をうらやむことから発生していると言えそうで、こういった事例は数多いと思われる。
 最後に泣いてしまったのは、郷ひろみを思ってのことではなくて、歌に情感を込め過ぎたせいであると思いたい。また、このように感極まって泣いてしまうのは、彼女にはとても多かった。神田沙也加がいうところの「感動屋さん」と称される所以である。
 この動画は現在も高画質版が動画サイトにアップされていて、拡散している。

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自分の歌にしてしまった幻のカバー曲-1(松田聖子) [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 松田聖子はデビュー直後や80年代初め頃には、カバー曲を歌っている。今ではカバーされることはあっても、人の曲を歌うなんてことは信じられないことだが、かなりの回数歌っている。これはでも、当時の番組プロデューサーやディレクターの気持ちになると、とてもわかる気がする。これだけ歌がうまいなら、松田聖子が歌ったらどうなるか、いろんなジャンルの曲を歌わせてみたいといういたずら心が働くのも当然じゃなかろうか。
 またおそらく彼女も、「歌って欲しい」というオファーに嫌な顔をせずに2つ返事して歌っていたのではないかと思う。それはもちろん自分の実力を示すということはあっただろうけれど、どちらかと言えば心から歌うことが好きだったからではないだろうか。彼女が歌う演歌なんて、POPな感覚で良いと思うけれど、どの曲を聴いてもみな自分の曲にしてしまっているというのがすごい。
 カバー曲を紹介する前に、松田聖子がデビューする前の高校1年の時にカラオケのカセットに吹き込んだという曲がある。友達と遊んでいる時に吹き込んだという話なのだが、そのカセットは叔母さんが所有していたものだという。

デビュー前にカセット吹き込む.JPG


デビュー前集合写真.JPG


 このカセットを紹介する番組はどうやら最低3回はあったようだ。一回は萩本欽一の司会で、本人も登場してそのカセットを聴いている。あとは85年頃のワイドショーで2回ほどあるようだ。吹き込まれている曲は「春一番」「狼なんか怖くない」「哀愁のシンフォニー」などで、やはり十分に上手である。少し舌足らずな感じもするが、もしかするとそれが言われている舌の手術へと繋がっているんだろうか。
 これを聴くと、松田聖子を見いだしたCBSソニーのディレクター若松宗雄氏の気持ちが十分にわかるような気がする。

 最初のカバーは「ダンシングオールナイト」。この曲自体が80年4月に発売だから、歌ったのはそれから数ヶ月後くらいか。どうもお笑い番組の中らしく、愛川欽也が中心にいて、桜田淳子や香坂みゆきなどが一緒にいる。まだマイクロホンの使い方がうまくなくて、ときおりバックの演奏に負けて歌声がかき消されてしまうが、きちんと自分の歌にしている。

ダンシングオールナイト.JPG


 次は1984年の「恋の奴隷」。奥村チヨのヒット曲である。NHKホールだと思われるが、彼女らしいハイトーンが冴えた歌唱で、やはり自分の曲にしてしまっている。この当時だと安定した歌手になっているので、もう他人の曲を歌っても松田聖子は松田聖子としてのアイデンティティが確立している時期になっていただろう。

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 どうやら急に、事前の練習なく歌わされたと思われるのが「北国の春」。左にいるのは五木ひろしだ。着ている衣装から推察して「秘密の花園」の頃らしく、そうすると83年の3月頃だろうか。出だしはキーが高すぎてちょっとおかしな感じだったが、すぐに修正して自分の曲にしてしまうのが驚きだ。このあたり、他の歌手からもその実力は一目置かれる存在になっていたのだろう。この娘が演歌を歌ったらどうなるかという興味本位のいたずらに実力ある歌唱力で返している点が注目される。

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 ここで紹介するのは、おそらく「げらげら45」(スター取調室)で歌われたと思われる「みちづれ」。「ほんと?」と言いながら歌い出すので、何か急に歌わされることになったのではなかろうか。1981年頃と思われる。この頃だと、まだ聖子がほかの歌を歌えるかというのは、それほど周囲にはわかっていなかったのではなかろうか。ここでも、演歌を演歌らしく歌うという素性の良さはきちんと現れている。あのねのねが少し感心したような顔をしているのが印象的だ。

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 なお、ここで紹介した一連の動画は、まだ動画投稿サイトにアップされている可能性がある。一度消されても、また誰かが投稿するので、閲覧できるかもしれない。

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