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’80年代聖子を楽しめずに過ごした [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 2016年9月末に放送されたマツコと福山雅治が対談した番組で、マツコが松田聖子に対して語っていた。曰く、「彼女がアイドル時代には気にもとめなかった。自分が30歳を越えた頃、その歌のうまさに気づいてなぜ自分はあのときリアルタイムで松田聖子が楽しめなかったのか悔やむ」と。
 私もほとんどマツコと同じだった。リアルタイムの松田聖子を楽しんだことはない。どうしてかっていえば、まず私がすでに20代半ばになっていて(つまり、松田聖子よりもかなり年上だ)仕事が忙しくて音楽番組など見る時間はほとんどなかった。しかも家のテレビは21インチくらいの古いCRT型で、スピーカーはせいぜい10cmサイズのモノラルが付いていただけで、これでアイドルが出てきて歌っていても、その違いなどわかりようがなかった。それと前述したように年齢差があったので、年の離れたアイドルなんて、まったく鑑賞する対象ではなかったのだ。
 1990年代になって、「風立ちぬ」のアナログLPをもらった。マスターサウンドシリーズだった。これを当時のオーディオシステムで聴いたときの衝撃は今でも覚えている。…うまい、歌がうまい。別格でうまい。ハスキーな低音から抜けるような高音まで、こんな歌い方ができるアイドルがいたのか。というか、私には松田聖子がアイドルという感覚が全くなかった。アイドル時代をほとんど知らなかったからだ。新しい素材を聴いた感覚だった。
 マスターサウンドシリーズというのも、たぶんその衝撃にはそうとう貢献したと思う。当時の西ドイツ・ノイマン社製カッターヘッドで刻まれたアナログ盤からは、信じられないほど奥深くてダイナミックレンジの広い音が再生された。ヤマハのGT-2000+デンオンDL-103、これとヤマハのNS-1000Xを組み合わせたシステムから再生される松田聖子に、正直なところ、頭がくらくらする思いがした。この人はすごい。心底そう思った。それからベスト盤などを買っていた。たが、ふつーにCDを聴いていただけだった。
 ところが、2000年頃からのインターネット高速回線の普及で、その流れが変わってくる…。

 本文では芸能関係者は敬称なしとしたい。その他の一般人には敬称などをできるかぎり付与したい。なにとぞご了承いただきたい。

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