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松田聖子の原点はラジオ番組だった-今もラジオ番組に積極的に出演する理由 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 1979年11月に日本テレビのドラマ「おだいじに」に登場した松田聖子は、ドラマ上の名前をそのまま芸名にして、翌12月、ニッポン放送の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のパンチガールとして起用される。歌手としてデビューできなかったのは事務所の方針で歌手としての活動ができなかったためで、翌年2月にはこの方針が撤回されて彼女は急遽「裸足の季節」でデビューを果たす。
 このラジオ番組「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」は平凡パンチがスポンサードするエロっぽい内容で、かなりきわどいトークなどが売り物だった。聖子は「今日のパンティの色は?」「スリーサイズは?」「肉体関係あるの?」というような問いかけに屈託なく、嫌がらずに答えていた。ちなみに、本人曰く、色は白だった…。

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 松田聖子はこのあと、1981年4月~1983年3月まで「SONY Night Square」で放送された「夢で逢えたら」に出演。さらに1982年11月30日からは「オールナイトニッポンスペシャル」を担当した。

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 これらの番組の中では、松田聖子は飾らない自分をさらけ出していた。かなりのハイトーンで、ものすごい早口。テレビの歌番組で見せる「ぶりっ子」ぶりとは違って、ほとんど「素」の状態で収録や生放送に臨んだ。番組終盤になってからは、ハガキを読むときに落ち着いた感じを醸し出してきていたが、歌番組の時とはまったく異なる雰囲気を見せるラジオ番組は、ファンに「日常の聖子」「隣にいる聖子」を強く印象づけた。また、聖子自身が、このように振る舞うことができるラジオ番組を楽しんでいたようにも見受けられる。
 2005年9月21日、特別番組「全国民放AMラジオ47局統一キャンペーン あなたに伝えたい~言い出せなかった"ありがとう"」キャンペーンの一環として、松田聖子が「AM全局をラジオジャック」という番組が放送された。この番組では、早朝7:50から17:50まで1局当たり10分間、ライン中継や電話などで結んで全AM民放局に松田聖子が飛び入り出演した。

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 47局中45局が生出演で、すべての出演が終了するまでに休憩は9回。昼食の40分以外の8回の休憩では7回までが10分間という過酷なラリーだった。そしてこの厳しい仕事を受けた理由を、彼女はこう述べた。
 「デビュー前からラジオに育てていただいた、ありがとうの気持ちから」
 このデビュー前というのは、あの「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のことを指している。ともすれば、女性タレントにすれば封印したい過去であるのが一般的なのかもしれない。しかし、聖子はこの「危ない過去番組出演」を隠すことはしなかった。隠すどころか、それに対して「ラジオに育てていただいた」とまで言ったのだ。
 彼女の営業戦略上の発言だったとしても、この発言は見事と言うしかない。これによって、聖子はAM全局からの好感度を一気に高めた。このとき、聖子はAM全局を手中に収めたのだ。とくに古巣のニッポン放送ではこれ以降「オールナイトニッポンGOLD」を不定期でほぼ1年に1回担当、蜜月状態が続いている。
 また、昨年10月からは月に1回「オールナイトニッポンMUSIC10」の担当を始めた。聖子はこの番組ではかつての早口で気軽な言い回しを封印。落ち着いた口調で語りかけるようになった。だが、基本的には饒舌であっけらかんとした部分は随所に出ていて、昔からのファンも古い時代の聖子を思い出せる内容となっている。
 このラジオ番組出演に対して、「神田沙也加との間を復活させるためにラジオ出演するのだ」という記事が出ていたが、それはかなり的外れだ。その程度のことでラジオ番組出演を決めるわけはない。ラジオ出演は言わば松田聖子の原点。ラジオ番組のブースで聴取者と向き合い、能動的に語りかけることに、彼女は楽しみを見いだしている。

オールナイトニッポン40周年.jpg

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