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松田聖子殴打事件-精神を病んだ青年は松田聖子を殴り続けた [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 1983年3月28日。沖縄市市営体育館では松田聖子のスプリングコンサートが開催されていた。スプリングコンサートは沖縄市を皮切りに北上して開催する予定となっていた。
 始まって約1時間がたった午後7時40分頃、聖子が「渚のバルコニー」を歌い始めてサビの部分にさしかかったとき、舞台下手から体格の良い男が瞬間的に聖子に駆け寄った。男は持っていた30~40cmのスチール製工具で聖子に殴りかかった。聖子はとっさに頭をかばいながら逃げたが、スチール工具は3回頭に打ち付けられた。男は逃げ回る聖子を追いかけ回した。
 「キャーッ、やめてー」という聖子の叫び声が会場に響いた。警備スタッフが数人駆け寄り、男を羽交い締めにした。会場は騒然となった。聖子はほとんど失神状態で顔面蒼白だった。スタッフに抱えられて会場の外へ運び出され、救急車で病院へ向かった。男はそのまま警備の警察官に傷害の現行犯で引き渡された。(現行犯の場合、警察官でなくとも一般人が逮捕可能である)
 聖子は右側頭部と右手首に約1週間の裂傷と打撲傷を負った。レントゲンやCT検査の結果、骨折や脳内出血はなかったが、体が震え、涙が止まらず、精神的ショックは計り知れず大きかった。その日はそのまま入院した。

殴打新聞報道.JPG

 この様子は当日放送される予定だった「ザ・トップテン」の生中継クルーによって撮影されていた。聖子が男に打ち付けられる画像はニュース等で報道され、視聴者にも衝撃を与えた。

殴打で振り向く聖子.JPG


殴打事件.JPG

殴打事件2.JPG

殴打事件3.JPG

 犯人は埼玉県に住む聖子ファンの19歳の少年で、精神的な病気で精神科の病院に入院中だった。少年は26日に外泊許可を得て27日に家族と都内に買い物に出かけたという。しかし、その後所持金3万5,000円を持ったまま行方をくらませてしまう。少年はその所持金で航空券を購入し、沖縄まで来て、スチール工具を購入していた。少年は「有名な松田聖子を殴ることで自分も有名になりたかった」と警察で供述したという。
 松田聖子にとっては何も責任がない、100%の災難だった。しかし、ここからの再起がすごかった。スプリングコンサートは休止となったが、わずか8日後の4月5日には熊本のステージに彼女は立っていた。「声が出るかものすごく不安だった」という聖子は、右腕に包帯を巻いたままの痛々しい姿で全曲を歌いきった。
 大方の見方では、その精神的ショックから数ヶ月は再起不能ではないかと見られていた。しかし、彼女はわずか1週間足らずで笑顔を携えてステージに帰ってきた。その精神力の強さには誰もが驚かされた。
 ステージに先立って、記者会見が行われた。ここで聖子は手に包帯を巻いた姿で現れ、笑顔で「もう大丈夫です」と記者団にアピールした。また、加害者をどう思うかと問われると、
 「精神に迷いがあって(事件を)起こしてしまった人を憎むわけにはいかない…」と語った。

殴打復帰会見.JPG

 ものすごく怖かっただろう。当時の警備の手薄さには、驚くしかない。しかし、この恐怖を乗り越えてわずか1週間足らずで現場復帰した聖子は、賞賛に値する。改めていうが、この精神力には脱帽する。また、終始笑顔を絶やさないでいたことにも、ともかく驚く。「笑顔を作っていた」という聖子だが、こんな時まで笑顔でいたことに、ひたすら畏怖の念すら感じてしまうのだ。
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松浦俊雄

松田聖子さんの根性、素晴らしいです。己を憎み、他人の罪を憎まず。凄い?犯人も、一人のファンとして大事にしないといけない。これはなかなか出来る事では有りません。本当に感動しました。また、事件当時の親衛隊が自分の身の事構わず聖子ちゃんを守る為、凶器を持つ犯人を取り押さえた行動は勇敢です。
by 松浦俊雄 (2021-08-01 14:47) 

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