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’80年代の動画が多数ネット上に登場したわけ [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 2000年頃から、ネット上には動画が登場するようになる。ADSLや光回線の普及に伴って、その数は増していく。私もとくに集中したわけではなく、ファイル交換や動画サイトを通して松田聖子の関連動画の収集を始めた。その具体的手法に関しては、あえて言及しないことにしておこう。
 私の見たこともない’80年代の彼女は、新鮮で驚きだった。ともかく歌がうまい。どの動画を見ても、歌がうまいし、声量がすごい。しかも、彼女なりに一生懸命歌っている。この事実を知らずに’80年代を過ごしてきた自分がどうしようもなく残念に感じた。
 また、人には歴史があると言うが、彼女も実に多くの出来事を経験している。デビューから怒濤のように駆け抜けた5年間で結婚して一時休業。出産後すぐに復帰し、その後渡米。激しい非難を浴びたらしいが、いわゆるスキャンダルの宝庫だったと言える。デビューの経緯なども再三取り上げられているが、そういった流れを追いかけられるような「事件」関連の動画も何点かアップされている。
 動画はかなりぼけぼけの画質もあったり、明らかにスキューひずみが出ていたりする動画もあったが、やたらと高画質な動画もあって驚いた。コントラストも彩度も高くて、おまけにジッタやスキューひずみがない動画があって、しかも地上波を受けた形跡であるゴーストも出ていない。非常に電界強度の強い地域で受信した画像と思われた。この高画質動画は通常のVHSの標準モードやβⅡのレベルではなく、おそらくはβⅠかUマチックではないかと思われた。
 このような古い貴重な動画を保存していたアップ主様にはただただ感謝申し上げるしかない。

 ’80年代の動画が多く保存されている理由を少し考えてみよう。まず、家庭用VTRの急速な普及がある。普及が本格化したのは1979年頃から。松田聖子のデビューは1980年4月である。そして、いわゆる「アイドル系番組」がとても多かったことがある。NHKは「レッツゴーヤング」、日本テレビは「トップテン」、TBSは「ザ・ベストテン」、フジテレビは「夜のヒットスタジオ」、テレビ朝日は「ゲラゲラ45」「徹子の部屋」「欽ドン」など、テレビ東京(東京12チャンネル)は「ヤンヤン歌うスタジオ」が放送され、まさに歌番組全盛時代だった。そして彼女はそれらの番組に満遍なく、かなりの頻度で登場した。
 それと、いわゆるワイドショーでも芸能ネタを多く放送した。今のような時事関連ニュースはほとんどなく、下世話な芸能ネタを多く放送していた。芸能レポーターなる者が幅をきかせていた時代だった。こういった背景があって、アイドルの王者だった松田聖子の露出度はそうとう高かったと思われる。戦後の週刊誌で取り上げられた回数は彼女が一番だというが、いわゆるワイドショー関連で登場した回数も、数えてみればトップに近いのではないだろうか。
 さて、こういった動画を丹念に拾い集めて、じっくりと見てみると、どういった松田聖子像が浮かび上がるのか。次回からは、ちょっと変わった側面から松田聖子を分析してみよう。ただ、私も一応は彼女のファンなので、好意的な解釈にバイアスが振れているということは、あると思うが。
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