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松田聖子唯一の演歌風ムード歌謡は、大まじめに作られた「コミックソング」 [松田聖子の歴史を動画で振り返る]

 1993年11月10日にリリースされた「かこわれて、愛jing」。Matsuyakko(まつやっこ)が歌うこのクラシカルで演歌風な曲は、夜の情報番組のエンディングテーマとして作られたものだ。
 意味不明なタイトル、ありがちの演歌風な詩、ムード歌謡的な編曲、そして何よりまるでカラオケで松田聖子が歌っているような演歌風でムーディな歌唱。そして歌っているのは松田聖子ではなく、あくまで「Matsuyakko」。徹底して「ベタ」な作風のこの曲、実は大まじめに作られた松田聖子流コミックソングだったんではなかろうか。つまり、この曲、全部が壮大な「大人のジョーク」なのだ。
 推測になってしまうが、おそらくテレビ局側から聖子側に「こんな風な曲、やってみないか」的な軽い打診があったんではないか。それは面白いと、聖子側スタッフは考えた。どうせやるなら、思い切り「カラオケ」的な曲作りをしてみたらどうなるか。栗尾直樹や小倉良もおもしろがって、曲を作る。ふだんはそんな曲作りはしない人たちが、オレでもできると、演歌風ムード歌謡を作ってみる。聖子自身も、演歌が歌えるから歌ってみましょうということになる。そして、おそらく制作日数は1日か2日くらいで、この曲はできてしまう。
 ここからも推測だが、最初はリリースの予定はなかったのではないか。あくまで歌っているのは「Matsuyakko」。松田聖子ではない。だけど聞きつけたレコード会社の担当者も「どうせなら、レコード化しましょう」となったんではないか。そこでレコード化にあたっては、おもしろ半分ながら徹底して「演歌化」を推進。ジャケット写真の聖子も演歌風に撮影して、カップリングにはカラオケを収納。おまけに、簡単にRIMIXできるもんだから、よりベタなムード色を強めたナイト・クラブ・ミックス・バージョンまで収録した。
 
かこわれて愛jing.jpg

 ここまできたら、もうコミックソング。聴いたとたんに、笑い転げた。そして思った。一頃よりも曲は売れず、すべてを自己プロデュースしていた松田聖子。でも、こんな冗談ソングを作れるなら、精神は健全だな、と。ともすると、多くのアイドルが落ち目になったときに、精神的な破壊に見舞われている。そんな心配は、この人に限って、ないなと。この人の精神力は、やはり強靱だった。

 この曲は、一種の「自虐ネタ」なのだ。つまり、破竹の勢いでヒットを続けてきた松田聖子が、かつての勢いを失っていた時機が、1990年代前半だった。しかし、「迷いながらもきちんと自分の歌を歌ってます、間違っても演歌は歌いません。たとえそれを歌えたとしても。」それを示したのが、この「かこわれて、愛jing」だったのだ。自分の歌として演歌は歌いません、ということをあえてMatsuyakkoが演歌風に歌うことで、逆説的に世に示したのではないか。そう、「人気がなくなってきたから、演歌を歌う、なんてことはありませんから」って、言っているのだ。

 まぁ実際、もし本気で松田聖子が演歌を歌ったら、もっと徹底して歌い込むだろうから、ここまで軽い歌い方にはならないだろう。彼女の声は演歌向きではないかもしれない。しかし、彼女は、80年代初めに演歌を歌っていて、本気で歌うと、かなりな演歌になる。この曲ではまさに聖子が軽くカラオケで歌っているような感覚がある。

 ただ、リリース時期が悪かった。この「かこわれて、愛jing」がリリースされたのが11月10日。その前にリリースされたのが「A Touch of Destiny」で5月21日。「大切なあなた」が4月21日だった。そしてこの後のリリースとなる「もう一度、初めから」が翌1994年5月1日。つまり、約1年間、メインストリームとなる曲のリリースがなかった時期だった。
 この間、半年ぶりにリリースされたこの曲を「コミックソング」と認識できずに、「松田聖子の変節」と受け取ったファンも多かった。この間に、メインストリームとなる楽曲がリリースされていたら、この曲はMatsuyakkoが歌うジョーク曲と正確に認識されていたことだろう。それがこの曲の悲劇だった。そのためか、CD売り上げ的には大して売れなかった。あまりに本気で作ったが故に、そのジョークな部分が、世に伝わらなかったのだ。

 もしかすると、メインストリーム系の曲が1年間ないからと、CBSソニーがその間にこの曲をCD化してしまおうと目論んだのかもしれない。もしそうだとしたら、それが「誤解」を生む原因となったのかもしれない。
 ディスコグラフィーには載っているのに、アルバム収録がなかったのも、この曲が「Matsuyakko」が歌うコミックソングだったからではなかろうか。聖子も制作サイドも、この曲はあくまで「ジョーク」だったのだ。繰り返すが、この曲で松田聖子が何か変わろうとしたことはないと思う。これはファンサービスの一環だったのだろう。

 その後2010年5月に発売された「 Seiko Matsuda Single Collection 30th Anniversary Box~The voice of a Queen~ Limited Edition 」に初めてこのCDがそのまま収録された。この収録は聖子を取り巻く環境や社会情勢が変化した結果だったのだろう。ようするに、この「かこわれて、愛jing」が「まじめな曲」として初めて日の目を見ることになったのだ。
 この曲、聴いてみると、なんかクセになりそうな感覚がある。味わい深いものが存在する。その曲想といい、歌い方といい、「こんな歌、聖子が歌ってもいいよね」って、言える時代になったのだ。また、誰もが歌いやすい曲でもある。それを反映してか、カラオケリストにはほぼ必ずラインアップされていて、カラオケ店では静かな人気を呼んでいるという。
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